大学を出てから3年で変わったこと【何者かになれたのか】
えぐられた小説
映画「何者」やってますね。Twitterのタイムラインに感想や報告が流れています。
私は原作は読んだのですが、映画はまだ見てません。
「心の闇がやばい」「憂鬱になる」「見ててしんどい」「メインの登場人物がみんな病んでる」「えぐられた」など、鑑賞をためらわせるような記事ばかり読んでしまい、映画館から足が遠のいています。内容は原作で知ってるし、お金払って陰鬱な気分になるのもなあ.....と考えています。
当事者でなくなってから読んだ
原作の本は大学4年の秋ごろ、就活が終わった後に読みました。就活がテーマの小説だと以前から知っていたのですが、就活前や最中にはとてもじゃないけど読む気になれず、内定を確保した後で読み始めました。チキンですね。就活の経験者として、読んでて突き刺さるものがありました。
何者でもない自分を認めることができないしょぼいプライド。
歯車になることすらできるかどうか怪しい現実と見えない将来。
表向きは個性をやたらと要求する癖に、欲しがる人材はどこの会社でも似たり寄ったりである矛盾。
読みながら「2度と就活したくねえな」と噛みしめてました。こんな狂ったこともう絶対したくないと思ってました。※その1年後くらいには思いっきり転職活動してました。愚かですね。
社会経験を経て、変わったこと
2つあります。「思考が現実的になったこと」と「人の力は集団の力だと分かったこと」です。高校生の時の自分が見たら、つまらない大人になったと思うかもしれません。
最近、特に考え方が変わったのかなと実感することがブログでありました。ブログを書くようになってから、新卒でフリーランスになろうとしている人や、大学を中退して起業をしようとしている人など、下の年齢の人の無謀とも言える挑戦や日々の努力を目にする機会が増えました。
「うわー!すごいなー!がんばれー!!」と思うよりも先に「待って。ちょっと考えて」という否定的な感情のほうが先に来ます。学生の頃はなんだかんだで親が後ろ盾になってくれました。社会人は自分の生活を自分で支える必要があります。自分の後ろ盾はもうありません。社会の厳しさを知ってリスクを顧みられるようになったのか、上の世代に飼いならされちゃったのか自分でもよく分かりません。
会社員として、複数の会社で働くうちに、組織のすごさと虚しさも見えてきました。人の力って結局のところ、集団の力なんですね。社会のインフラの全てが集団の力で支えられています。個人ができることはとても小さくて狭い。
そして、組織の一員っていうのは当然ですが代替可能です。代わりがきくからこそ、休みが取れるし、辞めても仕事が回ります。総理大臣だって代替可能なんですもの。代わりがいない人なんてそうそういません。
学生のころは「チームワーク」=「没個性。個を消して全体のために。教師が自分の都合のいい時に使う言葉」みたいなだいぶうがった見方もしていましたが、集団の力の威力を実感してからはそんな見方はしなくなりました。
何者かになれたのか
なれてません(笑)なりかたも分かりません。
自分で自分に納得できれば、何者かになれたってことなんですかね?そう考えると私はしばらく何者でもないままになりそうです。
仕事を覚えて、知識を身に着けていけば、いつかなれるんでしょうか?気が付いたら振り返ったときになっていたって感じなんですかね。
とりあえず、仕事とブログを頑張りつつ、いろいろ吸収していきたいと考えました。
なんか自分探しに血迷ったような文章になりました。別に迷ってはいないです。